ねきろむが稀に更新するブログ

読み書きが苦手ながらに手に取ったものをざっくり短めに5分ぐらいの文量でレビューします(2019年以前の記事を整理中)。当ブログはamazonアソシエイトを使用しています。

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【書くに足らないこと】我が家が実家になった日

どうも、ねきろむです。

 

およそ9日間の研修を終えて一度実家に帰ってきました。

今日含めて4日休んだらまた大阪でホテルと研修場を大福する生活を4月が終わるまで繰り返さなくてはいけません。

 

きっと誰もが一度は経験するであろう実家を発つ日。

自分はまさにこの家に住み、家族と生活するのが後4日になりました。

 

あれだけ待ち望んでいたはずの一人暮らし。

9日間の研修であまりの孤独と気疲れに耐えきれずなんども人目につかない場所で涙を流し

涙を乾かしてまた研修に戻っていました。

 

会社のルールで同期との会話は敬語を強制され

同期とはみんな敬語で会話。話し方を常に他の社員に見張られながら

研修中は1日中壊れたパイプ椅子の上で座学。

 

外に出ることは許されず、起床後と朝食中にのみ朝日を拝み

研修が終わると外は街灯もない暗闇。

 

こんな生活を4日間してきました。

これでもまだ半分も終わってません。

 

正直もうこんな仕事辞めたいです。

そもそもまだ仕事じゃなくて研修の段階ではあるのですが

 

もともと自分がやりたくて初めて仕事でもないのにこんな過酷な環境で1ヶ月も他人同然の人間とお互いの距離感を測りながら生活しなければいけない。

 

就寝時でさえ常に誰かの視線が存在し、安心する暇などない。

 

そんな生活を送った後、大好きな家族のいる実家に戻ってくるとようやく最後の2日間で慣れてきた

家族のいない1人の環境が崩壊し地元に着くなり号泣してしまいました。

 

家に帰り、まずは父の顔を見ると号泣。

声を聞くと号泣、部屋に入ると号泣。

 

どこにいても、何を見ても愛しいものばかり。

でもここにいられるのも後4日。

 

4年前の自分はこんなこと思いもしなかったでしょう。

なんせその時は早く家を出たくて仕方がなかったから。

 

ただ結局両親に引き止められて行かなかったわけですが

今なら引き止められた理由もわかります。

 

自分も同じ気持ちだからです。

 

大好きな人、誰よりも愛し、愛してくれた家族にいなくならないでほしい。

できることならこれからもずっと一緒にいたい。

 

でもそれじゃダメなんだと思い、実家から遠く離れた場所に住むことにしました。

 

広島から横浜まで新幹線で約4時間。

そう簡単に帰れる距離ではありません。

 

仕事も忙しいですしおそらく正月に少し帰れるぐらいだと思います。

 

23年間毎朝起きたら台所にいて、学校から帰ると居間にいて

毎日毎日会うのが当然だった家族。

 

そんな家族も自分から突き放さなくても本当に会えなくなる日が来ます。

両親が亡くなった時、おそらくあと20年以上先の話になると思いますが

いつまでも家族に甘えていると、いつかその時が来た時今の自分は

恐らく自分は2度と立ち直れなくなります。

 

両親はいつまでも家にいてくれても構わない。と言ってくれてはいますが

23年間育てた息子がいつまでも親の元から離れられないのでは安心できないでしょう。

 

自分が家を出て行った前後の日

母は一人で買い物に行くと告げ

買い物をしながら泣いていたそうです。

 

いつまでもあると思ったいたものがなくなる寂しさと苦しさ。

自分も辛く苦しいです。正直ここまで泣いたのは自分が中学の時新型インフルエンザで家の中で隔離された時以来です。

 

苦しみから逃れるすべもなく、ただ1人その苦しみに耐えている最中、おかゆを持って様子を見に来てくれる母が出て行った後に号泣した時は寂しさと苦しさで泣いていました。

 

何年たっても心の芯の部分は変わってないんだな。と思いました。

 

ただ、家に帰ったとき

いろんな場所を見て、家族を見て愛おしさを感じたあたり。もうこの家をは我が家じゃなくて実家なんだな。と思いました。

 

自分で飛び出して自分で決めたことです。

これからここは実家という場所になりました。

 

 

きっとこの涙はいつまでたっても枯れません。

正直収まりかけていた涙もたった今母と抱き合って二人で号泣したことでまたしても決壊しました。

 

でもこれは普通の家族なら当然のことなんです。いつか訪れる別れ。距離が近かったときほど、突然すぎるほど心は受け入れられず、対応できずこうして溢れてしまうのです。

 

なのでこの寂しさもおそらくは新生活が始まってしばらく時間が経てば変わることと思います。

 

友達ができれば変わると思います。

 

だからそれまで耐えればいいし、どうしてもダメなら戻ればいい。生活すること、働くことはどこだってできるわけですから。

 

ただ、自分がどういう決定を下すか。

耐え忍価値のある苦しみか。ということです。

 

自分はこれを耐え抜いた先で別に今の仕事も心から望んで入ったわけではないので1年そこらで転職して、自分が本当にやりたい、人生を捧げたいと思う仕事を探す。

 

そのためにこんなにしんどい1ヶ月も、家族と離れて涙を流す日々も耐えようと思えるのです。あくまで今はですが。

 

今日は多分顔を合わせるとまた泣いてしまいます。泣いてる姿を見て不安に思って欲しくないのでまた明日。

 

最後の3日間、家族と共に過ごしたいと思います。

 

そして最後の日、思い出を語りながら思いっきり泣いて出発は笑顔で迎えたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもまぁやっぱ行きたくないですね。

許されるならずっとここにいたいです。

 

ザコンとかファザコンとかそういうのじゃなくて家族と過ごすこの時間が大好きなんです。

 

 

 

 

ps:なぜこんなことをわざわざ書き留めたのか。

人に見てもらうことよりも、この先1年後とかにこの気持ちを思い出せるよう。成長を実感できるよう。弱い自分の言葉をここに残しています。