【書くに足らないこと】母の日
どうも、ねきろむです。
今週のお題は母の日、という事で母について書いていきたいと思います。
自分は自分でも言ってしまえるぐらい家族や親戚からとにかく愛されてきました。
社会人になったらそんな家族に恩返しをしながら生活したい。と思っていたのですが、社会人になって横浜に出てきたことからもうほとんど会う機会がなくなってしまいました。
当然自分は年に2回は実家に帰ろうと思っているのですが会社はそれを許さない。
盆や正月に休みが取れないという事で結局祝い事は家じゃできなくなりました。
毎年祝ってくれていた誕生日もいよいよ今年は家族に会わず迎えることになり、そうなってしまった誕生日は自分にとって歳が増えただけの平日になってしまいました。
そんな中のいい家族の中でも母とは特に仲が良く、大学生になってからも良く二人で色んな所に遊びに行きました。小学校のソフトボールは毎試合応援に、中学高校の陸上も毎試合応援に。大学になって始めた演劇も3公演全部見に来てくれました。
時に愛しく、時にうっとおしく思ってしまう母。
それでも今はただ会いたいです。出来るなら大学を出ても会える距離にいたかった。
こうして離れてしまうともう親孝行もまともにできないかもしれない。
自分は親不孝者だな。なんて思う一方で自分はこうも思ってました。
両親の結婚時期は遅めで、父は今年で65、母もそろそろ60だったと思います。
本人たちの前では言えませんが、長くてもあと30年。もしかしたら20年後かも知れません。二人が亡くなった時、自分が初めて今のような精神状態になると考えると恐ろしいものです。
23年かけて育てた息子はまだ両親がいないと平常でいられない。
そう思うと大学を卒業させても安心はできないのではないでしょうか。
家を出るとき、自分は言いました。
『就職はあくまで都会に行く動機であり、本当の目的は自分の夢を見つけること』
そして自分がつい最近見つけたばかりの夢
『演技の世界に挑み、自分の生きた証を一つでも多く人の心に焼き付ける』
きっとこれが叶った時
母は自分を一人の大人として認めてくれるのではないでしょうか。と自分が思います。
ちなみに演技の世界を勉強したいと思ったのは高校の時、この時は演技の経験ゼロでした。なので父も母も演技の勉強をすることに反対しました。
そもそも自分は校内有数の馬鹿でしたから。
行っても卒業もできなかったかもしれません。
そして社会人になって改めて、演技の世界を目指したいと思うようになりました。
自分が演劇をやること自体両親はとても喜んでくれていましたし、公演も喜んで見に来てくれていました。
もう自分は自由です。
社会的地位を失おうと会社を捨てることになろうと自分は一度演技の道を歩きたいと思いました。それが自分の生き方、その生き方、夢が現実になった時、両親は初めて安心できるのではないでしょうか。
これが自分の一番大きな親孝行にしたいと思います。
で、母の日の話ですよね。
もう距離が離れてしまったし自分も生活があるのであまりいいものを送るわけにはいきませんし。花って買って遅れるんですかね・・・?
今週のお題「母の日」