ねきろむが稀に更新するブログ

読み書きが苦手ながらに手に取ったものをざっくり短めに5分ぐらいの文量でレビューします(2019年以前の記事を整理中)。当ブログはamazonアソシエイトを使用しています。

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本厄の考え方

どうも、ねきろむです。

 

平成8年4月2日生まれの自分は年男にして本厄です。

厄年という概念を意識し始めたのは年明けの何日か前の話で同い年のフォロワーが話題に挙げているところで知りました。

 

昨年何もなかったかというと別にそういうわけでもなく、シフトが休みの日に決まって雨が降ったり。洗濯物を出した日に夕立に晒されたり、知らないうちに多額の借金を生み出していたりと何もなかったわけではないもののこれ以上の不幸が待ち受けているのか。と知ったタイミングで実家に帰ることができたので23年間毎年行く福山八幡宮という地物と有名な神社に厄払いしてもらいに行きました。

 

その様子は編集中の帰省動画でまたお伝えできればと。

 

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厄払いなんて初めて行ったので何をされるのかと思いきや紙に名前と住所を書いてそれを巫女さんに渡して、同じく厄年の人たちと一緒に払ってもらうという儀式でした。

 

毎年お賽銭を捧げながら賽銭箱の向こうで行われていたよくわからない儀式がこれだったのかと子供のころの純粋さを一つ失ったような気がしながら何やらいろいろ入った封筒を貰ったので家に帰って開けてみると。

 

 

撤饌(テッセン)という煎餅と御供米(おこめ)。あとは木のお札、厄払いのお守り。

撤饌は家族で分けるようにと書いてあったのに持って帰ってしまったので一人で食べることに。

 

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うちは仏教なんですけど仏教らしいことはしてないしクリスマスも普通にやるしこういう儀式も実際に何があるとか思ってはいないものの言われてみると不安になるわけで何かにつけて厄払いしなかったせいみたいなことを思うのも嫌だし。という事で受けた厄払いでした。

 

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とにかく楽観的なうちの妹は『厄年だけどいいことばっかだったよ!』みたいなことを言っていたので、やはり細かい不幸にとらわれるより小さな幸せを感じることが一番の厄払いなのかもしれないなぁと思いました。